夫婦仲良かったはずなのに、急に夫が冷たくなり本気不倫に。私の存在価値って何だったんだろう…。
今までたくさん笑い合ってきた。愛情も確かにあった。家族も増え、絆は一層深まるものだと思ってた。
なのに不倫女にのめり込み、夫の心は突如消えた。
一番近くて信頼していたはずの夫が一番遠い存在となり、心に触れたいのに触れることも許されない。
今までの二人の歴史は?夫にとって家族はこんなちっぽけな存在だったの?
筆者自身、出産直後このような状況でした。当時は「私に魅力がないから…」と自分の無価値さに、生きる気力すら見失っていました。
でも今ならハッキリわかります。本気に見えた不倫は、ただの心の弱さでしかないと。
純愛に見えるかもしれません。どう見ても女に本気じゃないかと。しかしほとんどの不倫が、純愛ごっこをしているだけ。
特に自己愛人間の場合はなおさらです。なぜなら、彼らには人を愛する能力がないから。
この記事では、元サレ妻で夫婦心理カウンセラーの筆者が、「自己愛人間の不倫に本気はない理由」を解説します。
夫の本気不倫で自分の価値を否定してしまいそうなあなたに、ぜひ読んでもらいたいと思っています。
不倫本気度チェックリストなんて自己愛人間には無意味
夫は不倫相手に本気なのか。知るものさしが欲しくてネット検索すると「不倫本気度チェックリスト」というものがよく出てきます。
照らし合わせるほど絶望が深くなるばかり。「夫やっぱり本気じゃん」って。
しかし世のほとんどの不倫、自己愛人間の場合は特に、とても純愛とは程遠いものなのです。
一見本気に思える不倫行動
あなたは夫のどのような言動を見て、本気不倫と感じますか?
- 不倫相手を好きとハッキリ言われた
- 離婚を切り出された
- 不倫相手を守る言動
- 妻にも家族にも冷たい
- 不倫相手にはとても優しい
- 不倫時間は短時間でも捻出
- デレデレなトーク内容
- 週末も家族無視で不倫デート
- ペアアクセサリーを身につける
- 誕生日など記念日を不倫相手と過ごす
- 不倫相手と一緒になるため家を出た
週末の家族時間は不倫相手と過ごす時間に変化。
「出会う順番が違っただけ」「こっちが本物」そんな言葉で愛をささやきあい、二人の中を引き裂く者として妻を敵視。慰謝料請求したら女のことを守るため尽力。
目の前の夫はこんなに冷たいのに、不倫相手にはつい先日まで私に見せていた優しい夫の姿。
このような姿を見ると、夫がいかに女を大切にして愛してるかと思いますが、実はそうではありません。
自己愛人間は他者に向ける愛がない
世の中には、自分の欲を満たすために他者の心を平気で傷つける人間がいます。自己愛人間です。
あなたの夫に以下のような発言はありませんか?
- 自分は悪くないと思ってる?
- 俺だって辛いんだ
- 考えすぎじゃない?
- スマホ見るのは犯罪だよね
- 俺は信用されてないんだね
- 自由がなくてしんどかった
- 〇〇なところが元々嫌だった
- 〇〇してくれなかったよね
- もう女として見れない
もしこれらの発言が思いあたれば、自己愛人間の可能性アリ。不倫人間の中には自己愛人間が高確率で潜んでいます。
歪んだ自己愛を抱える人間。空想上の「イケてる自分」に過剰な愛を持つ。共感性がなく他者を傷つけても平気な反面、他者評価には敏感。自己愛性パーソナリティ障害(NPD)と診断されることも。
家庭では冷酷卑劣な彼らですが、元々は優しくて魅力的だったり、外では良い人だったりと、二面性が顕著。
周りの人間を「イケてる自分を感じさせてくれる道具」としか思っていません。だからどんなに親しかった相手でも、自己利益と自己保身のためなら簡単に傷つけ切り捨てます。
「イケてる自分」に対する愛のみで、他者に向ける愛情がありません。これが、自己愛人間の不倫に純愛などない理由。
でも不倫相手のこと愛してるようにしか見えない。私も今までちゃんと愛されてたはず。
本人も錯覚してるから。でも好都合な方に流されてるだけだよ。
本気不倫に見えるのは「好都合な方に流され理想化する」性質ゆえ
他者に向ける愛がないと言われても、にわかには信じ難いでしょう。
だって今までたくさん愛されてきたんだもの。今は不倫相手のこと必死に守ろうとしてるんだものって。
しかし自分への愛しか持ち合わせていないのが現実です。自己愛人間が相手を愛しているように見えるのは、以下の性質があるため。
性質1:自己陶酔を生きがいとする
自己愛人間の生きがいは、自己陶酔に浸ること。
自信満々なようで実は自信がない彼らは、周りから賞賛されたり異性からモテることで、自分を価値ある人間と思い込みます。
だから自己陶酔を与えてくれる人が常に必要。
- チヤホヤおだててくれる
- 男としての自分を実感させてくれる
- 自分の理想通りに振る舞う
- 自分を最優先にしてくれる
- 自分を一切否定しない
- 間違ったことしても味方でいてくれる
このように自分に好都合な存在を側に置き、賞賛・愛情・欲求を吸い取ります。
性質2:自分に好都合な相手を理想化
自己陶酔を満たしてくれる相手は「イケてる自分」に浸るための道具です。
しかし自己愛人間は、自分をそんな最低人間だと認めたくありません。だって自分は素晴らしい人間だから。
だから、自己陶酔を与えてくれる好都合な相手を「理想の人」と錯覚し、純愛と思い込みます。これが本気に見える理由です。
不倫の始まりは単なる性欲。はじめから家庭を捨てる気なんてなかった不倫がほとんどです。
それでも本気と錯覚していく理由は、より好都合な方に流されてく性質ゆえ。
家庭では子どももいて自分だけチヤホヤさせるわけでもない。家事育児の協力という負担。親族関係。不倫が進んでいくと妻から怪しまれ、悪い自分を突かれる感覚。
そんな中、彼女との時間は癒しそのもの。俺が一番で全面的に俺の味方。もうこの子しかいない。こっちが本物の愛情だ。
純愛と勘違いしているものは、弱い自分から逃げ続けた結果に過ぎません。
でも私に冷たくするのは、不倫相手に一途だからじゃないの?
一途であることと妻の無価値化は全く別物だよ。
性質3:不都合な相手は徹底した無価値化
自分を避けたり冷たく接してくる夫を見ると、「不倫相手への正義を貫いてるんだな」と思う人も多いかもしれません。
夫の誠実さを信頼していたならなおさら。私が愛してきた夫は誠実そのものだったと。それほど本気なんだなと。
しかし自己愛人間は、不倫相手に一途だからあなたに辛く当たるわけではありません。あなたを自分にとって不都合な存在とみなしたから、卑劣な態度をとるのです。
前述の通り、彼らの生きがいは自己陶酔に浸ること。だから自己陶酔の邪魔者を敵と判断します。
- 不倫を怪しまれる
- 辛い感情聞かされる
- 子どもの気持ち考えろと言われる
- 行動を干渉される
- 目の前で泣かれる
不倫されたら当たり前の妻の行動も、自己愛人間からしたら俺様の自由を邪魔されている感覚。悪い俺を自覚させる、邪悪な存在。
妻は敵であり自分は被害者だから、妻への攻撃は正当防衛のようなもの。また敵の価値を下げることで、自分は価値ある人間のままでいられます。
今は不倫相手に本気に見えますが、不倫相手は数年後のあなたかもしれません。
ソースはあなた。あんなに愛されてたのにアッサリ捨てられた。
私大して変わってないのになんで心変わりしたんだろうって疑問だった。これが理由だったんだ。
そう。不倫相手は今だけプリンセスに浸ってればいいんだよ。
自己愛人間は、他者に対し理想化と無価値化を繰り返しながら相手を自己愛沼に引きずり込みます。その手法は「不倫夫の洗脳サイクル」にて詳しく解説しています。
ドーパミンの魔力で無価値に価値を生み出してる状態が本気不倫
でも結局、夫の自己陶酔を満たせなかった私は価値がないのでは?
それは誤解。あなたに価値がないのではなく、不倫夫の価値観が捻じ曲がってるんだよ。
自己愛人間が相手に求めるものは「俺様をチヤホヤしろ。俺様に心地良い環境を提供しろ」というもの。ずっとドキドキイチャイチャ、刺激や賞賛が欲しいのです。
いわばドーパミン中毒。
自己愛人間はドーパミンを得ることで最も幸せを感じます。
結婚し子どもが産まれてもなおその価値観は変わりません。でもそれを満たし続けるなんて不可能。要は自己愛人間が結婚不適応者なだけ。
そして不倫相手がそれに乗っかった。その女に魅力があったのではなく、好都合だから選ばれたに過ぎません。
不倫相手の中には「私が本物だった」と自惚れる女も多いものですが、それは勘違い。不倫相手は価値がないからこそ、既婚者の欲を満たして求められることで、自分の価値を認識します。
確かに女は容姿微妙だった!内面良ければ既婚者相手にしないはずだし、なぜあの女に本気になるのだろうと思ってた。
あなたは別の愛を知っています。それは穏やかに育まれる愛。決して情熱的ではなくても、あるだけで心温まる愛。人を温めることができる愛。
あなたに価値がないのではありません。
価値があるからこそ、自分満たしに熱中する自己愛人間との間に価値観のズレが生じただけ。
結果、自己愛人間は愚かな価値観で釣り合う不倫相手との欲望に溺れた。
本気に見せた傷の舐め合いであり、お互い利用し合ってるに過ぎません。
夫の価値観に適合する意味なんてなかったんだ。
依存性のあるドーパミンの闇については、以下の記事で詳しく解説しています↓↓
エーリッヒ・フロムに学ぶ|本物の愛とはそもそも何か
でもそもそも愛って何?錯覚でも本人が愛と思えば愛では?
「自分を満たしたい」が前提にあるものは、愛ではないと思うな。
愛という概念は壮大すぎて、私がここで簡単に語れるようなものではありません。
そこで、私の好きな社会心理学者、エーリッヒ・フロムの言葉を借ります。
彼は自身の著書『愛するということ』で、愛について以下のように語っています。
誰かを愛するというのは単なる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。
愛するということ
もし愛が単なる感情にすぎないとしたら、「あなたを永遠に愛します」という約束はなんの根拠もないことになる。
未熟な愛は言う、「愛してるよ、君が必要だから」と。成熟した愛は言う、「君が必要だよ、愛してるから」と。
愛するということ
一人の人間を愛するということは、人間そのものを愛することでもある。
愛するということ
家庭への無価値化と、不倫相手への一途な愛情は両立しないと思っています。
本来であれば、家族は一番大切にすると誓った存在。それを自分の都合一つで無価値扱いするような人間は、他者に対する敬意がない人間です。
そのような人間が、人を本気で愛するなんてできるでしょうか。
自分が自惚れるために必要だから、愛をささやく。そんなものは、愛ある人間の行いではないように感じます。
まとめ|自己愛人間の不倫に本気がない理由は人を愛する能力がないから
今までたくさんの愛情と笑顔で思い出を積み重ねてきた夫が、急に不倫相手に本気になり、家族を蔑ろにするように。
- 不倫相手を守る発言
- 家族を捨て不倫相手と生きる決断
- 家族への無関心かつ冷酷な態度
私の存在価値って何だったの?夫にとって家族はこんなちっぽけなものだったの?
考えるほど、大きな絶望と虚無感でおかしくなりそうですよね。家族への冷酷を決め込むほど、不倫相手への一途な愛を貫いているのかと。
しかしいくら本気に見えても、自己愛人間の不倫に本気などあり得ません。
それは、自己愛人間に人を愛する能力がないから。
彼らは、自己陶酔に浸ることに強い執着心があります。非常に身勝手な独りよがりな願望です。
自己陶酔を満たす好都合な相手が不倫相手だった。純愛と思い込むことで不倫の罪を正当化。それが本気不倫の正体。
そして自己陶酔に邪魔と感じた瞬間、今まで仲良くしてた家族を敵視し、心を平気で切り裂きます。
他者は自分の欲と保身に活用する道具でしかないから。ドーパミンに溺れることを愛と勘違いする、愚かな思考。
人に敬意を持つことができない人間は、人を愛する能力がありません。他者を本気で愛するなど不可能。自分のことすら愛せていないのですから。
あなたは不倫夫に捨てられたと感じているかもしれません。
しかし私から言わせてもらえば、彼らのような価値観を持つ人間、誠実なあなたには不相応だっただけ。
だから自ら落ちぶれ消えていった。本当の愛を持つ大きな味方を、自ら手放した。
子どもを、周りにいる人を、穏やかな愛で包めるあなたにこそ価値があると、私は感じます。
\ 本記事で紹介したフロムの著書 /
純愛はない!